突然目の前に現れた宗教は、いつも側にあるものだった

花 魂を輝かせる方法

 

池上彰さんの『[図解]池上彰の 世界の宗教が面白いほどわかる本』を読もうと思ったきっかけが2つある。

 

宗教の本を読むことになったきっかけ(1)

まずは、きっかけ1つ目について。

 

昨年、父が亡くなった数時間後にいきなり目の前に現れた宗教。

 

私の中で、それまでまったく日常生活に無かった(と思っていた)のに、父が亡くなった直後に○○祭典の人が来て、お坊さんが来てと、急に宗教が出現したことに当時私はとても驚いていた。

 

「え!?ちょっと待って。なんで?なんで?」という感じ。

 

たとえるなら、12月24日、25日まではクリスマスムード一色の飾りつけや音楽が流れている状態から一転。翌日には、笛や太鼓の音色が流れて一気にお正月ムードになる、あの切り替え感に近かった。

 

当時は、「今まで生活に宗教なんて出てきてなかったのに、いきなり出てきて、いきなり大金持って行かれた・・・」というのが正直な気持ちだった。(母と妹は「お父さんのため」と納得していたようだったが)

 

お坊さんもお経はあげてくれるけれども、その後お釈迦様の教えを説いてくれるわけでもなく「昨日歯医者行ってなー」とかの世間話して終わり。

 

子供のころ、宗教のことはよく知らなかったけれど、法事の後にお寺さんから聞く話に興味を持っていた私にしたら、目が点。

 

「宗教って一体なに??」

 

これがきっかけの1つ目。

 

宗教の本を読むことになったきっかけ(2)

きっかけの2つ目は、今年の1月から毎月1回通っているエンディングセミナーで、キリスト教の旧約聖書における死について学んだことである。

 

私自身がイメージしている死とは、比較的仏教の輪廻転生に近い。(死んでもまた生まれ変わる)

 

ところが、新約聖書のそれはまったく違うということに「えー!?そうなん!?」とその世界観に驚き、この本『[図解]池上彰の 世界の宗教が面白いほどわかる本』を手に取ることとなった。

 

ユダヤ教(旧約聖書)の死のとらえ方

エンディングセミナーで学んだ旧約聖書によると、「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」←生

 

そして「塵にすぎないお前は塵に返る」と。←死

 

カンタンに書くと、神様は土の塵(ちり)から人の形をつくり、その鼻に命の息を吹き入れたことから最初の人間が出来た。よって、元々塵からつくられた人間は死んだら塵に返るんだよと。

 

そんな、旧約聖書における死後のとらえ方を聞いての個人的な感想は、なんかどーんと暗い気持ちになった・・・です^^;

 

旧約聖書では、人間存在の意味は「現世」において生きることの中でのみとらえられ、それ以外での人間の可能性などは問題とならない、現世中心主義という考えだそう。

 

旧約聖書とは? 新約聖書とは?

ちなみに、旧約聖書とはキリスト教の立場からみたユダヤ教の聖書のことを指し、新約聖書とは神の子イエスの死後、イエスの教えを弟子がまとめたもの。

 

イエス自身はユダヤ教徒であり、弟子たちへ教えを伝えるときも、ユダヤ教徒の聖書である旧約聖書の内容を引用していたとのこと。

 

旧約聖書という言い方はキリスト教から見た表現であって、ユダヤ教は旧約聖書という言い方を認めていないし、新約聖書自体も認めていないとのこと。(図解 池上彰の世界の宗教が面白いほどわかる本 池上彰 著 中京出版より)

 

また、死については、ユダヤ教・キリスト教共に「生まれ変わる」「輪廻転生」という考えは存在しないそう。

 

ということは、彼らにとって「前世」という概念も存在しない。

 

※ブライアン・ワイス博士が前世療法の発表をしたことは、ユダヤ教徒・キリスト教徒にとっては「あり得ない!」という話になる。すごく勇気がいっただろうな〜

 

死を通じて生をみつめると、自分の価値観に気づける

私は宗教者ではないので、特定のものを推奨するということはしない。

 

だけど、「死んでも人間はまた生まれ変わる」とか「人生は今回1回きりで終了」など、誰もが避けられない死を自分はどのようにとらえているのかを元気なうちに知っておくことは、今の生をどのように活かすかを考える上で、一つの指針になるとは思っている。

 

 

さて、人は目の前の出来事をはじめ、様々なことをイメージという自分の世界観でとらえている。

 

表面的には、たとえ目の前の出来事に対して不満を感じていたとしても、イメージというフィルター、自分の世界観というフィルターを通して、見たいように見て、聞きたいように聞いて、感じたいように感じている。

 

このフィルターは、価値観や思い込みとも言えるもの。

 

多くの人は、フィルターは変えられないものと思っていたり、性格だと思ってあきらめていたりするが、結論から言うと、フィルターは変えることができる。

 

それも本人さえ納得できれば、イメージでサクっと変えることができる。

 

 

どのフィルターを選ぶかは人それぞれ自由だけど、昔ぴったりフィットしていたフィルターでも今は合わなくなっていることも多く、変えたかったら変えられる。外したかったら外せる。

 

だから、もし現状に不満や不安、違和感を感じていて、それを変えたいのなら変えられる。

 

ただ、まずは自分が今どのフィルターを選んでいるのかに気づく必要はある。

 

「死について、自分はどのようにとらえているか?」など死生観や宗教観を知ることは、自分の今のフィルターを知るきっかけになる。

 

日本人の宗教の位置づけ、世界の人の宗教の位置づけ

私自身は、お盆やお彼岸は仏教、クリスマスはキリスト教、初詣、七五三、お宮参りは神社へとお参りし、台所には神様のお水が供えられているという、いわゆる自称「無宗教」の家庭に育った。

 

だから、本当に宗教については無知だった。

 

けれども、エンディングセミナーでいろいろ学ぶことで、宗教は日常生活で身近にあることを知った。私が気づいていなかっただけということに気づいた。

 

 

今回、池上彰さんの本を読んで、もう一つ印象に残ったことがある。

 

それは、多くの日本人が宗教に関心が薄いとか、嫌悪感を示すというのは世界からみればとても珍しく、日本以外の諸外国では世界三大宗教とよばれるキリスト教、イスラム教、仏教をはじめ、何らかの宗教を信仰している人がほとんどである実態に驚いたこと。(名前や住所を書く感覚で、宗教欄には信仰している宗教を書くらしい)

 

さらに、世界レベルでみる政治・経済の動きは、宗教の歴史やその価値観も大きく関与していることを知り、なんやかんや言っても「知らない」で済んできている日本は平和やなぁと改めて思った。

 

 

ネットやニュースで報道される世界情勢も、報道されているそのまま(一部)だけを見て「あっちが悪い」「こっちがかわいそう」とうわべで感情的に判断するのではなく、彼ら双方がどのような宗教を持ち、その宗教がどのような歴史をたどってきたのかを知ることで、「だから今こういうにらみ合いが起こっているんだ」とわかるようになるだけでも、この本は一見の価値ありだと思う。

 

こんなむずかしいことを文庫本一冊にまとめた池上さんすごい!!

 

興味あれば読んでみてください^^

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