派遣の仕事やめました(1)

花 CAD派遣

 

春名恵です。

 

契約更新という働き方の派遣でも、「やめます」と言うときは勇気がいりますよね。

 

私も最後の派遣をやめるときは、決断までにものすごく時間がかかりました。

 

派遣とはいえ、更新をいただける限りは食べていける。

だけど、このままでいいんだろうか・・・?

 

仕事にはやりがいも充実感もある。

だけど、家と仕事との往復で一日が過ぎ、一ヶ月が過ぎ、一年が過ぎていってしまうことに焦りを感じる。

 

「したいことがある」「ライフワークで生きていきたい」という人にとっては、悩ましいところですよね。

 

 

新たな道へ一歩踏み出すためには、今の場所を卒業するという選択をしなければいけない時期がいつかは訪れます。

 

それは派遣に限らず、正社員でも公務員でも契約社員でもパートでも同じです。

 

この記事では、私が今の場所を卒業することになった経緯(派遣をやめるに至った経緯)を書いたため、上記の人にとっては参考になるのではないかと思います。

 

今回と次回の2回に分けて投稿するので、よかったら読んでみてください。

 

辞めどきはある日突然に

2014年9月末に契約を満期終了し、派遣の仕事を辞めました。

 

理由は(と書きながら、辞めることに理由いるのか?ともふと思う)、「これからは自分の決めた道を邁進していこう。私が本当にやりたいと思っている仕事をしていこう」と思ったからです。

 

だからといって、「これでいく!」とはっきり決めて辞めたわけではありませんでした^^;

 

6月は、本当に仕事がパンパンでイライラMAX。

7月に入ってひと段落ついた瞬間、「そうだ 京都、行こう」のごとく、「そうだ、辞めよう」と思ったのです。(今から思うと、それは魂の声だったと感じている。あーでもない、こーでもないとごちゃごちゃ言ってる声とは違ったので)

 

「いつかは辞めるときが来る」と漠然とは思っていましたが、まさかこんな急だとは思いませんでした。

 

やっと決まった派遣先。恵まれた環境を手放せず・・・

元々、誰かの頭にあるイメージや満たしたい要求をヒアリングし、CADで図面として描き興していくことは好きでした。

 

だからこそ、もっと理解して仕事をしたいという想いがあり、「機械設計わからん!設計者の言ってることがぜんぜんわからへん!」と気持ちが爆発したことがきっかけとなって、29~30歳のときに夜間の短大(今は無き大阪工業大学短期大学部 機械工学科)へ通いました。

 

ここでは、机で受ける授業だけでなく、溶接や鋳造、機械加工などの実習もありました。

 

そのおかげで、図面という紙上の情報を知識として覚えるのではなく、自分がやった実際の作業を思い浮かべながら、実感を持って必要な情報を図面に描けるようになったことが収穫でした。

 

文章で書くと「え!?そのためだけに社会人入学したの!?」と言われそうな気もしますが^^; でも、それが私のずっとほしかったものでした。

 

ところが。

明るい希望を胸に卒業したものの、しばらく就職先が決まらず・・・

 

卒業後4ヵ月経ってようやく決まった派遣先がこちらだったので、契約更新をいただける限り続けようと思っていました。

 

 

私自身はそんなふうに続けたい気持ち満々でしたが、一度「君の仕事はもうないから」と契約終了を言い渡されたことがあります。

 

順調に時給アップしながら契約更新をいただいてきて、次の更新をしたら三年になると言う手前での出来事でした。(派遣の三年ルール。正社員にしないといけないというルール。AutoCADオペレータ、CAD設計などの専門26業務はまだこのルールは適用されていなかったので、派遣先の勘違いだった模様!?)

 

女35歳であわてて転職活動をはじめたものの決まる気配は全くなく、「まずい・・・」と心底焦っていたとき、派遣ライフ最後までお世話になることになった課の課長が「よかったらうちへ」と拾ってくれたのでした。

 

切れそうになっていたクビが無事つながったこと。それがどれほどありがたかったか。

 

そんな恩も感じつつ、でも「次にする仕事は自分のしたいこと、好きな仕事」とも決めていました。

 

ちなみに、その派遣先にはトータル9年いましたが、辞めるまでの3年半は『派遣+したい仕事』を実現するため、週4日勤務にもさせてもらっていた私。そんな恵まれた環境を捨ててまで辞める覚悟もなく、決断もなかなかできずにいました。

 

「居場所はここではない」後押しはある

だからといって、その環境や仕事に骨をうずめているかといえばそうでもなく、「私の居場所はここではない」ともずっと思っていました。(仕事は仕事でちゃんとやってましたよ^^;)

 

そんなこんなで「いつかは『辞める』って言わないとあかんなー」とは思っていました。

 

が!

 

その決断は、6月のハードワークがきっかけで、自分でもびっくりするほどすんなり下すことができたのでした。

 

ところが、「私はこれでやっていきます!」と準備万端で決断した訳ではありません。(「そうだ、辞めよう」と思ったので^^;)

 

だから辞める理由も、最初はものすごくふんわりした内容でしか話せなくて、良くしていただいたみなさんへの辞めます報告や、送別会での会話、締めのあいさつでそれを述べていくうちに、だんだん考えがまとまっていったのが正直なところでした。

 

あ、ある程度はプランありましたよ。まったくのゼロではなかったです。だけど、話しているうちにプランがまとまっていったという方が近いのです。

 

そして、10月から本当にフリーになり、結果として1ヵ月半ほど自分の中で深ーく深ーくこれからのことを整理する時間を持てたことで、ようやく今後の軸が定まってきたのでした。

 

仕事していたときにそれができていれば、もっと時間を有効に使えたのにと後の祭りで思いましたが、日頃はなかなかそんな時間を取れなかった・・・というか、いつでもできると甘くみていたのでした・・・

 

現時点での可・不可関係なく、本当の望みを出す

自分のことを深く整理するときには、「私にできるのはコレ」とか「私にぴったりなのはコレ」など、現在の自分の基準は一切関係なく、自分の本音レベルでの「こうでありたい」「こうしたい」と思うことをまず出しました。

 

そして、そのこと×世の中から必要とされることを結びつける検討をした結果、今まで考えていたこととまったく違ったことが出てきました。

 

実際には『検討時間』という固定の時間は設けていませんが、散歩したり、アロマと遊んだり、写真撮ったり、いろんな人と話したりする中でそれらがひらめいたり、くっきり輪郭を表してきたという方が近いです。

 

 

このブログを新たな形で再開しようと思ったきっかけとして、昨日ピラティスのプライベートレッスン受けてるときに、「あ!」っと気づいたことがあります。

 

それは、私が伝えたいことは、「やりたいことやって生きよう」のひと言に尽きること。

 

私自身がそうやって生きたいし、

  • 好きな仕事をして自由に生きたい。だけど現実にはいろいろ問題があって、動きたいけど動けない。
  • でも、どうしてもやりたいことがある
  • 人々に伝えたいことがある

という人にも「できる方法があるよ!」と、確信を持って伝えたい。

 

今現在、方法は模索中ですが、準備やリサーチなどいろんなことをやっています。(人生100年時代の持続可能な働き方:2018年11月追記)

 

ハケンの仕事を辞めました(2)

 

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