前回記事の間で私が実際に体験し、感じたことも書いてみたいと思います。
特に、
- 馬車馬のように働いている人が定年退職したり引退した後
- 途中で仕事を失ったとき
- 子育てが終わって子どもが巣立った後
にも感じることかも?
そのときには「退屈」「生きてる実感ない・・・」と思うのかも?ということで、内容をシェアしたいと思います。
ニセモノの願い、真の願い
前回記事で、「退屈」「生きてる実感ない・・・」ともぬけの殻状態になった私がしたことは、「これからこうなったらいいなぁ」という願い事を100個書き出すことでした。
「100個ではすぐに叶ってしまって退屈になるから、500個書くといいよ」という話も聞いたことがあって、そういえば退屈するって言ってたよなぁとも思い出し、ひーひー言いながら2時間かけて100個書き出しました。
100個でギブアップしたので^^;、1個叶ったら、次にまた1個を書こう♪
めでたし。めでたし。
で終わるところでしたが・・・
「ちょっと待って! 私、休んだらアカン(ダメ)って思ってるわ・・・ で、書き出した願い事100個も『休んではいけない』っていう前提で書いてるわ・・・」
と、みんなが働いている時間に、自分は(直観やインスピレーションを元にとはいえ)好きなことをしているという罪悪感や、時間が余ることの罪悪感があることを自覚したのでした。
これはまったく認識していなかったので、自分でも意外でした。
だってサラリーマン時代は、みんなが働いているときに休めるのは快感♪って思ってたぐらいだから。
だけど、それは1日2日の休みだからそう思っていたのであって、今みたいに時間を自由に調整できる働き方で、毎日『みんなが働いているときに休める』となれば、話は別だったんですね、私の場合は。
出てきたのは罪悪感と、もう一つは無価値感。
人や社会から必要とされていない感じ。
置いてけぼりにされている感じ。
自分がここに存在している意味や価値ってあるんかな?
そんな気持ちが無価値感。
あーーー・・・
ビジネスとか現役引退する前に気づけてよかったよ、私・・・
気づけたら、手放すも向き合うも同居するも選べる。
気づかなかったら、それら(罪悪感、無価値感)に振り回される。
特に私は、お金持ちになるというだけの豊かさではなく、時間もお金も気持ちも豊かな生活が理想だから、時間が余ることの罪悪感は今のうちに気づけてよかった!
本当にそう思いました^^;
自分を仲間はずれにしていない?
さて、以前なら、それら罪悪感や無価値感を取り除こうとしていた私。
取り除く・手放すテクニックは持っているので、これまではそれらで取り除いていました。
だけど、この夏の終わりの気づき体験をきっかけに、どんな自分もすべて自分だと受け入れていこうと決めた私は、そういう罪悪感や無価値感も含めて自分であると認め受け入れた上で、新たに100個の願いを書き出してみました。
(実際にはすぐに受け入れられなかったので^^;、受け入れようと意識してみる=罪悪感ちゃん、無価値感ちゃんも自分の仲間に入れてあげようとした上で、願いを書き出した)
「自分だけ休んではいけない。だから○○しよう。」など無意識に思っている現在の仕事ありきの願いや、「人の役に立てない自分には価値がない」とか「これがイヤだからこうなったらいいな」など否定から生まれる願いでもなく、そんなこと全部無しだとして、本当に自分の内面から湧き出てくる喜びの願いを書き出しました。
真の願いを確認する方法
ニセモノの願いか真の願いかを私はどういうふうに知るかというと、「こうなったらいいな」ということが出てきたら、それを自分の感情や身体の感覚(センサー)に意識を向けることで確認しています。
感情や身体の内面に、灯台で光を照らすように意識を向け、明るい感じ、心が軽くなる感じ、身体が緩んでふわっと広がる感じがするものを自分の内面から湧き出る喜びの願い(真の願い)とし、それを書き出していってます。
そんなふうに書いてても、罪悪感とか無価値感(その他いろいろ)に気づかなければ、私の最初の100リストのように、罪悪感や無価値感を避けたいがための願い(恐れからの願い)になります^^;
恐れからの願いもまったく叶わないという訳ではなく、叶うのは叶っても、罪悪感・無価値感(その他いろいろ)ありきの願いが叶うということ。
なので、叶っても叶っても罪悪感や無価値感から逃れられない=自己否定の気持ちはずっとある状態 でしんどいです。
さて、自分の内面から湧き出る喜びの願いとは、頭でグルグル考えて出てくるものでもなく、世間や他人が言う成功像とも限りません。
頭で考えて出てきたものの多くは、世間体や人から求められる役割、もしくはそれに反発するものであったりしますが、真の自分が本当にそれを望んでいるかというのは別問題のはず。
また、本当にしたいことはどうせ無理だろうなと思っての妥協案であることも多いです。
だけど、自分が余命30日だと知らされた場合にもそれをする?と聞かれたとき、「Yes」と断言できないなら、それは本当の願いではないはずです。
命の期限は誰にも知らされていない。
だから、真の願い、自分の根っこで思っている願いを書き出し、それを実行することが大事だと私は思ってます。
そんな感じで書き出した私の新たな願い事100リストは、以前書き出したものとは全然違うものになりました。
そらそうやろね。
あはは^^;
まとめ
ということで、「退屈」「生きてる実感ない・・・」という場合は、まずは「時間もお金も立場も環境も年齢も、何も制限なかったとしたら?」で、願いごと100個書き出してみてください。
自分の体感に意識を向けることに慣れている場合は自分自身に聴きながら書き出し、慣れていない場合は、それが真の願いかニセモノの願いかは一旦横に置いておき、まず書いてみてください。
100個書き出そうとすることで考えも整理できるし、自分のいろんな気持ち(感情)にも気づくと思います。
「今の自分なら可能だろう」との想定内ではなく、「もしかしたら、自分には無理かもしれない」と思ったことも全部書き出してみてください。
人は、出来ないことはそもそもイメージ(想像)できないんです。
今は無理かもしれなくても、イメージできるなら達成可能なんです。
出来ないことはそもそも悩まないし、出来るからこそ悩んで悩んで悩みまくります。
(オリンピックに出る要素がない人は、そもそも「オリンピックに出れない」って悩みませんよね^^; それと同じ)
悩んで動いて止まって足引きずりながらたどり着いた先に、あなたが本当に体験したい現実があります。
本当に体験したい現実へたどり着くまでの『悩んで動いて止まって足引きずりながら』という過程(プロセス)は、その人個人の設定です。
なので、人によってはすんなりたどり着く人がいます。
それが、今「退屈」「生きてる実感ない・・・」というあなただと思います^^
だから、ぜひぜひ周りに遠慮せず、他人が言う成功像でもなく、自分には無理かも・・・と思うぐらい手の届かないものを、思い切って書き出してみてくださいね。
あ!念のため。
今「退屈」「生きてる実感ない・・・」と感じている自分はダメだと否定するのではなく、そう感じている自分もOKだよ~と認め、あなた自身の仲間に入れてあげてくださいね^^
次回は、自分の感情や身体の感覚(センサー)に意識を向けることについて書いてみたいと思います。
自分で感情コントロール、感情ケアができるようになりたいあなたのヒントになるかもです^^
お楽しみに♪