人の行動の源に影響するものに、宗教観が占める割合は大きい

 

春名恵です。

 

昨年末にうちの父が亡くなったとき、無宗教だと思っていた我が家にいきなり目の前に宗教が現れたこと(=葬儀)がきっかけで、「宗教ってなんぞや?」「人ってこんなに簡単に死んでしまうんや」「人が死ぬことってどういうこと?」と疑問や関心を持つようになりました。

 

そうして、今年の初めからは年配の方に混じってエンディング講座を受けたり、放送大学の死生学講座の聴講、仏教の講座も聞くようにもなりました。

 

※エンディング:物語の終わりを指すことが多いが、近年ではエンディングノートといって、死に備えての自分自身の希望を書き留めるノートがあることから、人生の終盤を指すことも多い

 

この月1回のエンディング講座では毎回講師が変わり、あるときはホスピスケア専門の院長先生、あるときはルポライター、あるときは宗教を研究している大学教授、あるときはキリスト教の牧師など様々な専門家が講師として登壇されます。

 

 

日本人の多くは宗教を「あやしいもの」として毛嫌いしますが・・・

 

これらを学び始めてもうすぐ1年になる今思うことは、人の行動の源に影響するもののひとつとして、宗教観が占める割合は大きいのではないかということです。

 

たとえば、何かビジネスを興したいとか、それを世に広めようとしている人たちがどのような宗教を信仰しているかによっても、見た目は同じビジネスをしていたとしても、ビジネスの基礎となる思想=理念 はまったく違ったものになるだろうし、そこから派生する行動も違ってくると思います。

 

これは売り手側だけの話ではなく、買い手側がどのような宗教観を持っているか?でも言えるんですね。

 

買い手がどんな宗教観を持っているかによっても、売り手はどうアピールしたらいいのかが変わってくるからです。

 

だから、関わる人の宗教観(具体的な信仰の有無に関わらず)の違いを理解していないと、本当の意味での人間理解や、ビジネスの目指す方向性を理解できないのではないかとも思うようになりました。

 

 

私自身は、自称無宗教という名の仏教徒(正月には神社へ参拝し、葬儀にはお坊さんが来るという家庭に育つ)ですが、エンディング講座のときに初めてキリスト教の旧約聖書、新約聖書のさわりを読み、その世界観が仏教や神道とは全然違うことに驚きました。

 

その心理的な衝撃が、その後キリスト教の成り立ちなどが書かれた本を読むきっかけとなり、実際にキリスト教徒の立場から考える死についてのとらえ方や物事の見方をもっと知りたいと思うようになったことで、先月ご縁あって教会へ伺うことになりました。

 

私が「こういうことに関心を持っている」と話したところ、日曜日の礼拝にも参加させてもらえることになりました。

 

 

そして、「エンディング」というテーマで話をしたいと言ったことで、牧師夫人と教会へ通っておられる方、私の3人で、別の日に教会に集まることになりました。

 

予定では1時間半ぐらいで終わるかなーと思っていたのですが、気がつけば3時間が過ぎていて、もう一度時計を見たときには5時間ほど話していたことに気づきました。

 

この日だけでエンディング、クリスチャンが考える死生観(死についての考え。死を通して、ではどのように生を考えるか、生きるかの考え)についてだけでなく、私がキリスト教についていまいち腑に落ちてなかったこと(原罪、祝福、契約など)についても聞くことができ、またこれからの経済についてなども幅広くお話することができて、とても刺激を受けました。

 

「神様」という言葉や「愛」という言葉も、この場で話されるのを聞いていると、いわゆる日本人の無宗教者がイメージする神様とか愛とかとはまた違った印象を私は持ちました。

 

なんか一言では締めくくれないぐらい、今も心にズシンと来ています。

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