死について、家族と話す機会持てていますか?

 

今を楽しく生きることも大切です。

 

でも、それと合わせて、誰もが避けては通れない死ともきちんと向き合うことが大切だと、父の終末期介護をはじめ、私自身、死を意識した体験を通じて感じるようになりました。

 

一般的には、「死」とはネガティブで暗いイメージ。

 

縁起でもないことだととらえられがちですが、死は誰にとっても避けて通れないもの。今のところ確率100%だからです。

 

そんな100%起こることについて、家族とも楽しかった話題を出せるのと同じように、死についても自分の考えや準備について、オープンに話す機会を持てているでしょうか?

 

死を忌み嫌うがため、話題に出せない日本人

死を通して生をみつめること。

 

つまり、自分にとっての理想の死を考えて、ではそうなるために自分はどのように生きていくかの考えを「死生観」と言いますが、それらを自ら考え、家族と話し合う時間を持つということは今の日本ではなかなか無いです。

 

特に、自称「無宗教」が多い日本人は、死を前にしたとき、家族で共通の言語(死について共有できる考え)がないことや、死を穢れととらえる人が多いため、身近な人の死を前にしたときにどうしたらいいのか分からなくなるのです。

 

つまり、実際に死を目の前にしたときに初めて、死について考えるという状態です。

 

我が家の父の末期がん発覚がまさにそうでした。

 

その後、手術後に父の意識がなくなったとき、父の生死を左右する治療法の判断を医師から迫られたときに、家族共通の死に対しての言語(判断基準)がないことで非常に困ったのです。

 

死生観を意識するきっかけ

今の日本において、死生観を意識するきっかけは3つあると私は考えています。

  1. 死ぬかもしれない病気が分かったとき
  2. 事故にあって生死をさまよったとき
  3. 元気なときに、改めて死から生を見つめる機会を得たとき

 

今は、1. と 2. がほとんどです。

 

死ぬかもしれない病気がわかったり、事故にあって生死をさまよったときに初めて、「自分はこんな生き方でよかったのか?」「このまま死んでいいのか?」などと死を意識し、そこから改めて生について考えることが多いからです。

 

でも・・・

よく考えたら、何も病気や事故にあってから死生観を意識しなくても、元気なときに死生観について考えてもいいと思いませんか?

 

そうです。

3. の「元気なときに、改めて死から生を見つめる機会を得たとき」がそれですね。

 

死から生へと焦点当てることで見えることがある

私は、父の死後、関心の赴くままエンディングセミナーなどに参加し、そのレポなどもブログに書いてきました。

 

生を通してでは見えなかった自分の考え・価値観が、死を通して生をみつめることで見えてくることも多々あることに驚きました。

 

必要な人に情報が届けばいいなと思っているので、関心があれば引き続きこのブログをチェックしてくださいね。

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