春名恵です。
父のすい臓ガン発覚がきっかけで、私は命の大切さを”生”という視点からだけでなく、”死”という視点からもみつめる必要性を痛感しました。
さて、
今を生きる
という言葉がありますよね。
- 今感じることを大切にしよう
- 過去や未来にとらわれず、今できることをやろう
など。
おそらくその言葉の背景には、
- 今をハッピーに楽しく過ごしてれば、その先の未来も楽しい(はず)
- 今をしっかり生きていれば、その先の未来もよくなる(はず)
という思いがあるのでは?と思います。
少なくとも、私はそう思っていました。
ところが、2013年9月にすい臓ガンが発覚した父はこう言ったのです。
「今まで好きなことやって生きてきて『人生悔いなし!』と思っていた。それなのに、病気とわかったときには末期ガン!最期にこんな悔いの残ることはない!!」と。
補足しておくと、がん以外は「今までほんまに楽しい人生過ごさせてもらってありがとう」と言っていました。
ただ、すい臓がんについては、これまで主治医に痛みを訴えていたのに「大丈夫」と見逃されていた。だから、「痛みを訴えて訴えて訴えて、やっと病気が分かったときにはすい臓の末期がん!最期にこんな悔いの残ることはない!」との怒りがものすごくあったのでした。
私は、このときの父の言葉を聞いて衝撃を受けました。
好きなことやってきて人生悔いなし!と思っていても、最期に悔いが残ることってあるんや・・・!?と。もちろん誤診とは言えです。
私はセラピストでもあり、カウンセラーでもあり、コーチでもあるので、その人がより良く生きるために障害となっているものを取り除いたり、なりたい未来のゴール設定をしてセッションを行います。(厳密にいうと、障害となっているものを取り除くのはクライアント自身ですが)
だから、目標、ゴールの決め方は一般の人より心得があると思っていました。
だからこそ、父の言葉を聞いて本当に驚き、「これは目標の立て方を見直さないといけない!」「今を生きることの前提に”死”という視点も含んでおかないといけない!」と強く思うようになったのでした。
今このままの今を生きた先に、心から自分に、周りに、この命に感謝する最期があるだろうか?
命尽きる最後まで、生ききれるだろうか?
たとえ今を生きていたとしても、それが自分の理想の最期とつながっていなければ、人生最期に「生ききった!」と言えないだろうということは予測できると思います。
だからこそ、
- 自分はどのように死を迎えたいのか?
- そうするために今をどのように生きるのか?
いう自分の死生観を知ることが大事になります。
また、現時点での自分の死生観が分からなければ、それを育んでいくこと。
それが、生きている間は豊かな人生を送り、人生最期は「生ききった!」と笑顔で迎えられることにつながると、父の終末期に寄り添った体験から強く感じています。
<参考記事>