死生観を語り合うことは大切だと改めて思う

 

春名恵です。

 

4月に、私の同級生のご主人が交通事故で亡くなりました。

 

「いってきます」とバイクで出かけた、その矢先の事故だったそうです。

 

 

病気の場合は、ある意味準備ができます。

 

どれだけケンカした親子であっても、今日こそ「ありがとう」って言うぞ!という時間を与えられます。

 

私の場合は、実際には「言うぞ!」と決心し、挫折し・・・

 

また「言うぞ!」を数回繰り返したのですが、でも、もう残り時間がないと分かってからはちゃんと言うようになったし、言うチャンスを与えられていました。

 

 

一方、事故の場合は急で、その準備ができません。

 

そのため、友人の心境を思うと言葉が見つかりませんでした。

 

 

だけど、亡くなったご主人のお通夜へ行ったとき、喪主として挨拶している友人を見て「強いな」と思いました。

 

これは、強がっている、無理している、気丈に振舞っているのとはまたちょっと意味が違うのですが。「強いな」と思いました。

 

 

このお通夜のとき、私も父が亡くなった当時が思い出されて、悲しみが沸いてきました。

 

11月のお通夜・お葬式で、私は感情も涙もかなり出し切った感があったので、もう大丈夫と思っていましたが、ちょっとぶり返したようでした。

 

でも今はもう大丈夫。

 

やっぱり、生きているうちに、元気なうちに家族や愛する人たちと死生観を語り合うことが大切だ!そういう場が必要だ!と改めて思いました。

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