訳もなく腹が立ったり、怒りっぽい自分の正体

花 魂を輝かせる方法

 

表面上に現れているのは「怒り」や「憎しみ」というという感情で、その底に「悲しみ」が存在しているという人は多い。

 

ところが大人の場合、この底にある「悲しみ」の感情が分かりやすく表に出ている人は少ない。

 

その状態は、「悲しみ」を表へ出さないようにするため、「怒り」や「憎しみ」でカバーしている(守っている)ともいえるんだ。

 

訳もなく腹が立ったり、怒りっぽい自分の正体

さて、何か訳もなく腹が立ったり、怒りっぽい自分をもういい加減卒業したいと思った場合、本当に表へ出して解放すべきものは、「怒り」や「憎しみ」の底にある「悲しみ」の感情だ。

 

訳もなく腹が立ったり、怒りっぽい自分の正体は「悲しみ」なんだ。

 

ところが、実際は「私、怒ってるんだ・・・」とか「私、憎いんだ・・・」と表面の感情を解放しようとすることが多いと思う。

 

ただ、それらの感情は一時的には解放できたように見えても、「怒り」や「憎しみ」と紐づいている奥底の「悲しみ」が存在する限り、表面の「怒り」や「憎しみ」がなくなることはない。

 

これは、伸びてきた表面をいくら刈り取っても、根がある限り次が出てくる植物と同じといえる。

 

心理的メリットに気づこう

では、どうすれば訳もなく腹が立ったり、怒りっぽい自分から卒業できるようになるのか?

 

どうすれば奥底の「悲しみ」に気づき、解放できるようになるのか?

 

 

それは、自分がいつも怒り続けているメリットに気づくこと。いつも誰かを憎むことで得ている心理的なメリットに気づくこと。

 

 

たとえば、怒ることで自分は正しいと暗に主張できるとか、憎しみを持つことでそれをバネにして頑張れるなど、心理的メリットとなるものが必ずある。

 

本来なら「自分はこれこれこうで、こう思う」ということをそのまま言えば済むことも、たとえば・・・たとえばね、過去にそれをやったときに「そんな考えは間違っている!」などと非難され、そのときは「ごめんなさい」と謝らされたけど、子供ながら本心は納得いってない・・・という場合がある。

 

納得いってないがために「自分は悪くないもん!」「なんで謝らないとダメなの?」という気持ちがずっと残り続け、大人になっても残り続け、そうして今、目の前の相手が何か言おうとした瞬時に身構えるということが起こる。無意識のうちに。

 

「そんな考えは間違っている!」とまた責められる、また謝らされると感じている無意識の自分は、「そんな考えは間違っている!」と言われる前に自分が怒ることで自分の正しさを証明しようとし、相手に先越しで言われることを防ごうとするんだ。

 

また、その「怒り」のベースには、「そんな考えは間違っている!」といきなり言われてびっくりしたとか、そんな言われ方をして悲しかったとか、そういう意味で言ったんじゃないのに違う意味でとられて悲しかったという、当時感じていた本当の感情がある。

 

その感情にフタをしてしまったことで(悲しみを感じることを自分に許さなかったことで)、当時と似た状況になった場合、「悲しみ」を出して当時と同じ気持ちを味わわなくても済むよう、「怒り」で対応するようになってしまった。無意識のうちに。

 

※「怒り」で対応するようになったという部分は、人によってはピエロになってその場を和ませるとか、笑いでごまかすとか、逃げるとかいろいろある

 

 

「憎しみ」の場合もそれと同じなんだ。

 

 

ところが、今現在目の前にいる相手は「そんな考えは間違っている!」と言った当時の相手とは別の人間。

 

だから、いくら怒りで応戦したとしても、残念ながら当時の相手から謝ってもらえることはない。

 

ただ、唯一その相手に自分の言い分をぶつけられる方法がある。

 

イメージで対話しよう

その方法とは、目を閉じて自分自身に意識を向けて集中していき、イメージの中で当時の相手と対話すること。

 

自分の言いたかったことを、イメージの中の相手に思いっきり言いまくること。

 

相手が謝ってくれるかどうかは分からないけれど、この作業を何回か繰り返すことで自分のくすぶった感情は解放され、昇華していく。

 

気づいた心理的メリットを手放そう

それと合わせて、訳もなく腹が立ったり、怒りっぽい自分という、そんな今の状況に身を置くことで得ている心理的メリットも手放そう。

 

すると、鎧を一枚一枚脱ぐように自分の気持ちが軽くなっていくだけでなく、目の前の相手も「え!?こんな人だったっけ?」とびっくりするぐらい変わる。

 

自分の感情反応が変わることで相手が変わる。

 

まさに『自分が変われば相手も変わる』んだ。

 

追伸

ちなみに、いつまでも「怒り」や「憎しみ」という感情を持ち続けることで痛めつけられるのは、怒りや憎しみの対象となる相手ではなく自分自身。

 

攻撃の矢を外側へ向けているようでも、相手は「怒り」や「憎しみ」の言葉を聞いているとは限らず、その態度におびえてくれるとも限らない。

 

ところが、攻撃の矢を放っていることを一番自覚しているのは自分であり、言葉によって自らの心や体、細胞などを傷つけ、その代償をまともに受けるのは自分。憎き相手ではないんだ。

 

命あっての人生。

 

自分が先に変わることは自分への労わりであり、そうやって自分が自分への接し方を変えると、周りの人も同じ接してくれるようになるよ。

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